ウィーンは、約200万人の市民が住むヨーロッパの中では大きな街です(東京都の人口の1400万人強)。たくさんの人が住む一方で、緑が比較的豊かで、街中でたくさんの公園があります。その中でもウィーン・シュタットパーク(以下、シュタットパーク)は、オーストリアの隠れた国歌とも言われる『美しく青きドナウ』に代表される、ヨハン・シュトラウス2世の記念碑があります。シュタットパークは、比較的大きく、かつ、ウィーン中心地から近いため、多くの人が訪れる公園の一つです。
観光で行くようなところではありませんが、もしランチなどをテイクアウトする機会などがあれば、せっかくなら訪れてみても良いのではないかと思います。
今回、たまたま行く機会があったのでレポートをまとめます。
ヨハン・シュトラウス2世とウィーン
まずは、ヨハン・シュトラウス2世についておさらいしましょう。
ヨハン・シュトラウス2世は、ウィーンで生まれ育ち、『美しきあおきドナウ』や『ウィーンの森の物語』など、数々の有名なワルツで知られています。ヨハン・シュトラウスといえば親子で有名ですが、ここに置いてある記念碑は「ワルツ王」と呼ばれている息子のヨハン・シュトラウス2世のほうです。
出身地
ヨハン・シュトラウス2世(または息子)は1825年にハプスブルク帝国の首都ウィーンに生まれ、7番区のザンクト・ウルリヒ(Sankt Ulrich)出身です。ザンクト・ウルリヒは、フォルクス劇場やレオポルド美術館から近い、小さな地域で、いわゆるシティボーイでした。
1899年、73歳のときに亡くなります。ヨハン・シュトラウス2世のお墓は、以前、ウィーンペディアでも取り上げたウィーン中央墓地に埋葬されています。もし興味がありましたが、こちらをご覧ください。
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当時のウィーン
19世紀初頭、ナポレオン戦争「アウステルリッツの戦い(別名:三帝会戦)」(1805年)によってフランス軍にウィーンは占領され、翌年の1806年には神聖ローマ帝国が消滅します。
1825年に生まれたシュトラウスは、オーストリア帝国ができてすぐの、激動の時代に生まれてきました。1867年に、オーストリア・ハンガリー帝国が建国されるなど、シュトラウスの人生のあらゆるフェーズで、オーストリアでは多くのイベントがありました。
ヨハン・シュトラウスの記念碑
この公園の見どころといえば、公園中央にあるヨハン・シュトラウスの記念碑です。第一次世界大戦のあとの1921年に作られましたが、金色が贅沢すぎるということで黒色に塗られたそうです。その約70年後に、改めて今見られるような金色に塗り直されたそうです。
バイオリンを弾く黄金のシュトラウスの像が立っています。なお、日中に行くと、この像のすぐ近くに、ホーフブルク王宮で開催される「モーツァルト・シュトラウスコンサート」のチケットが購入できます。
特に、このブースで買う必要はなく、インターネットで購入したほうが楽です。
ブルックナー像
シュトラウスと同じく、オーストリア出身の作曲家のアントン・ブルックナーの像もあります。
ブルックナーはウィーンではなくリンツ出身です。
池
公園内に、1つ池があります。ベンチが1つあり、ぼーとしている人が多いです。公園内は、座るところが非常に限られているので、地べたに座ってランチスタイルは難しく、ランチを食べるならこのベンチを狙ってみましょう。
シュテファン大聖堂から15分くらいの場所ですが、のほほんと時間が流れている感じが、とてもほっこりします。